令和3年度卒業式 科長告辞

 

中等科卒業式告辞

 

学習院中・高等科長 武市憲幸

 

 厳しい寒さも和らぎ、木々の芽もふくらみはじめ、春の訪れを告げるこの日、今年度の卒業式を行えることを大変うれしく思います。卒業生のみなさん、そして父母保証人の皆様、本日はご卒業おめでとうございます。

 本来であれば、ここに在校生の諸君と共に式を挙行するはずでしたが、ご承知の通り、新型コロナウイルスの感染はいまだに収束せず、このような形で行わざるを得ませんでした。在校生の諸君も教室で中継を通して君たちの卒業を祝ってくれています。

 思い返せば、一昨年から始まったこの騒動は、学校生活に大きな影響を及ぼし、既に2年が経ちました。授業はもちろん、クラブ活動や行事の多くが、中止や延期に追い込まれ、中等科生活の大半がこのような形になってしまったことが残念でなりません。保護者の方々にもさまざまなご不便をおかけしたことと思います。ただし、この100年に一度ともいわれる厳しい状況の中で、生徒たちの安全を図るためのやむを得ない措置であったことをご理解いただきたいと思います。

 卒業生諸君はこの3年間、学年が進むにつれて、あれやこれやの規則を煩わしく思ったことがあるかもしれません。そうした規則を「押しつけられたもの」と窮屈に感じ始めること。それは君たちの成長を表す一つのしるしなのかもしれません。一方で、「これをやってはいけない、あれをやってはいけない」と親御さんや教員から言われることは、君たちが「守られていた」ことでもあったのです。むろん高校生になって、それらがすべてなくなるわけではありません。しかしこれからは、自分自身で判断を下さなければならない場面が確実に増えてゆきます。初めはそのことに戸惑い、失敗を犯すかもしれませんが、君たちが自立するためには避けて通ることはできません。

 良く「高等科は自由だ。」と言われますが、私は、ここで「自由」ということについて小説家夏目漱石の言葉を紹介したいと思います。

 漱石は「こころ」という作品の中で登場人物の一人に次のように語らせています。

「自由と独立と己れに満ちた現代に生まれた我々は、その犠牲としてみんな此淋しみを味わなくてはならないでしょう。」

 自由で独立した一個人は、そうであろうとすればある種の「淋しさ」を引き受けなければならない。すぐにはピンと来ないかもしれませんが、他に頼らずみずから一個の独立した存在として自由であろうとすることはそれほど易しいことではないのだ、と漱石は言いたいのです。他人の意見や行動に合わせて何となくやってゆく方が楽であり、われわれはともすればそちらに流され勝ちです。つまりこの「淋しさ」から無意識のうちに逃げてしまうのです。高校生になった当初は、ある種の開放感から「自由」をただ「ありがたいもの」だと感じることに忙しく、こんなことには思い及ばないかもしれません。ただ、この自由に伴う「淋しさ」のことを頭の片隅にとどめておいてほしいと思います。そしてみずからこの「淋しさ」を感じた時が、本当の意味での「自由」に近づけた時なのかもしれません。

 以上、「自由」についての話でしたが、漱石が作家として活動したのは明治の末年から大正の初めでした。彼にとっての「現代」とは、19世紀末から20世紀初頭にあたりますが、われわれが生きているこの時代は、彼の生きた時代よりも、もっともっと複雑になっていると言ってよいでしょう。

 コロナ禍の問題ももちろん、政治や経済や外交、あらゆる分野で先が見通しにくい時代にわれわれは生きているのです。そして先の見通せない不安は、ともすれば他人を攻撃することでその吐け口を見出そうとしているような気がしてなりません。一つの国が他の国を非難し、一つの国の中でも攻撃する対象を見つけて容赦ないことばを浴びせかける。先ほどの話と関連させるならば、みずからの「不安」や「淋しさ」を他人への憎しみによって埋めようとしているのかもしれません。行っている本人にはその自覚がないのでしょうが、こうした行為によって「不安」や「淋しさ」はけっして癒されることはありません。憎しみの言葉はその感情を増幅させてゆくだけです。どうかどんな困難な時にあっても、他人を思いやることを忘れずにいて下さい。

 父母保証人の皆様、本日の卒業式には学校法人学習院を代表して、耀院長、香取常務理事にご列席いただいております。またご来賓として東園桜友会会長、大野父母会会長、斉藤中高桜友会会長にご臨席いただいております。私たち学習院中等科教職員一同、心からご子息のご卒業をお祝い申し上げます。

 ご子息が3年前入学式に参列していた時のことはまだ記憶に新しいと思います。私も親として経験がございますが、あっという間の3年間だったのではないでしょうか。この3年間、彼らは様々なことを学び、成長してゆきました。そしてこの目白のキャンパスで過ごしたことがより良き成長の手助けとなったならば、これほど喜ばしいことはありません。ただそれは義務教育課程、つまり基礎の部分が一つの区切りを迎えたということであり、これからの3年間、本来的な学びの時が始まります。高校での3年間が今後の人生の「根っこ」となってゆく大事な時期になるのです。中学生とは違い、高校生の親としては直接手を出さずに、見守ることが必要になる場面も増えてゆくと思います。これは口で言うほど易しいことでなく、つい手を出したくなってしまうことも多々あるはずです。しかし彼らがやがて自立した人間として自分自身の人生を歩んでゆけるように、どうか暖かく見守っていただきたいと思います。

 ご子息のご卒業を心よりお慶び申し上げます。

 以上をもちまして卒業式の告辞といたします。

 

令和4317日 学習院中・高等科長 武市憲幸

ページトップへ