令和2年度卒業式 科長告辞

 

中等科卒業式告辞

 

                               学習院中・高等科長 武市憲幸

 

 卒業生のみなさん、そして父母保証人の皆様、本日はご卒業おめでとうございます。

本来であれば、ここに在校生の諸君や、ご来賓をお招きして式を挙行するはずでしたが、ご承知の通り、新型コロナウイルスの感染はいまだに収束せず、このように簡易化した形で行わざるを得ませんでした。

思い返せば、昨年の2月頃から始まったこの騒動は、学校生活にも甚大な影響を及ぼしました。4月の新学期になっても登校できなかったことはもちろん、その後のクラブ活動や行事の多くが、中止や延期に追い込まれ、中等科生活最後の年がこのような形になってしまったことが残念でなりません。保護者の方々にもさまざまなご不便をおかけしたことと思います。ただし、この100年に一度ともいわれる厳しい状況の中で、生徒諸君の安全を図るためのやむを得ない措置であったことをご理解いただきたいと思います。

 さて、卒業生諸君は、この3年間でどのように成長したでしょうか。われわれは、君たちの「個性」を何よりも大切に考え、日々君たちと接して来ました。中・高等科で培われるそれぞれの「個性」を土台にして、将来自分自身の充実した人生を自力で歩んでいけるようになることがわれわれの願いです。

 むろんこうした「個性」とは、「独りよがり」や「わがまま」とは区別されるべきものです。「充実した人生」に結びつき得る「個性」とは、あらかじめ与えられているものではなく、人と人との関係の中から、みずから問い続けることによって生まれて来るものだと私は考えます。中等科も3年生くらいになると教師や親の干渉を煩わしく思うことがあったかもしれません。しかし、それも「独りよがり」と「より良き個性」を区別するために必要な過程であったのだと考えて下さい。

 そして、これから高校生になると、いよいよ自分の個性に磨きをかける本格的な段階が始まります。これからは、与えられたものをただ受け身で受け取るのでなく、「自分自身にとって本当に必要なものとは何か」それぞれのやり方で試行錯誤を繰り返し、探していきましょう。もちろんそれは、これからの3年間で簡単に見つかるものではありません。ただ、それから先の人生で探し続け、どこかに辿り着くためには、必ずこの時期に行わねばならないことなのです。これならばどんな苦労もいとわずにやっていけると思える自分だけのものを手にいれるために。

 ここまで「個性の探求」ということを述べて来ましたが、そのことと関連して、もう一つ大事なことを述べてみたいと思います。私は国語の教員ですので、夏目漱石の「私の個人主義」という文章の中の一節に触れさせてもらいます。この文章は漱石が有名な『こころ』という作品を書いた後、輔仁会の依頼を受けて、学習院の生徒に行なった講演を文章化したものです。講演の前半では「自己の個性」を発展させることの大切さが述べられています。

 

それで私は常から斯う考えています。第一に貴方がたは自分の個性が発展出来るやうな場所に尻を落ち付けるべく、自分とぴたりと合った仕事を発見する迄邁進(まいしん)しなければ一生の不幸であると。然し自分がそれ丈の個性を尊重し得るやうに、社会から許されるならば、他人に対しても其個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然となって来るでせう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、彼奴(あいつ)が左を向いているのは怪しからんといふのは不都合ぢゃないかと思ふのです。」 

 

 自分の個性を発展させようと思うならば、同時に他人に対してもその「個性」を発展させる自由を認めなければならない。自分が「右を向いているから」と言って、他人が「左を向く」権利を侵してはならない、ということです。この点には十分注意して欲しいと思います。

 さらにいうと、自己の個性を探求していく上で、みんなが右を向いている中、自分一人だけが左を向かなければならいことも起こるかもしれません。この点について漱石は別の場所で「ある場合においてはたった一人ぼっちになって、さびしい心持ちがする」のだと述べています。こんなことを言われてもピンと来ないかもしれませんが、自分自身の個性を探し求めていく上でこのようなことも起こり得るのだ、つまりある種の厳しさも伴うものなのだということを頭の片隅にとどめておいて下さい。

 父母保証人の皆様、ご子息のご卒業を心からお祝い申し上げます。

皆さまにおかれましては、3年前この記念会館での入学式のことはまだ記憶に新しいのではないでしょうか。あれから3年間、生徒たちはさまざまなことを学び、さまざまな面で成長していきました。この目白のキャンパスで過ごしたことがより良き成長に結びついているならば、これほど喜ばしいことはありません。先ほども述べましたように、これから始まる高校での3年間が、彼らの人生の「根っこ」となっていく大事な時期を迎えます。これからは、これまで以上に親が直接手を出さずに、「見守る」ことが必要になる場面が増えてくるでしょう。ある意味、親としての「もどかしさ」を感じる場面が増えていくのだと思います。ただ、一人の自立した存在としてこれからの人生を歩んでいく上で、避けては通れないことなのです。「見守る」ことは「放任する」ことではありません。おそらく保護者の方々も試行錯誤を繰り返されることになるのだと思いますが、どうか暖かく見守ってあげて下さい。

本日は本当におめでとうございます。教職員一同ご子息のご卒業を心よりお慶び申し上げます。

 以上をもちまして卒業式の告辞といたします。

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